歌の居場所

歌の居場所
2019年9月30日 No Comments ブログ wpmaster

さあ、歌の居場所を歌手が掴んでいるか?

これが大きな問題だ。

シンガーソングライター、バンドなどで音楽を続けて来ている人達は歌の居場所を知っている。

しかしカラオケで歌って来た人たちは歌の居場所は掴めていないと思う。

歌には居場所がある。

演歌・歌謡曲が中心に流れているところで木村菜緒が作るオリジナル曲はいくらその曲が良くても受け入れて貰えない。

何故か?

そういう所のお客は、その歌が自分が歌えるか?という曲の聴き方をする。

中には難しい歌にチャレンジする人もいれば、知らない曲をレパートリーにと考えている人もいるだろうが、カラオケ喫茶は自分が歌うというスタンスがまず第一だ。

そこではいくらいい歌でも歌が狭い居場所に追い込まれてしまう。

そして歌手も不安を抱く。
サウンドトレジャーの歌手はどうか知らないが、「こういう歌を歌っていて良いのだろうか?」と。

そして木村菜緒も不安を抱く。
「そんなところで歌っていても?」
と。

正直なところ、サウンドトレジャーの歌手達の活動の場に木村菜緒の曲は居場所が無い。

結論から言うと今のままではサウンドトレジャーに木村菜緒の曲の居場所は永遠に無い。

それを証明したのがこよりのミニアルバム「シンドローム」だ。

これは菜象として曲を書いている。
そして木村菜緒が本来の自分の感性をさらけ出して作っている。

このミニアルバムが木村菜緒の居場所を作った。

救われたと思う。

しかしそれはサウンドトレジャーでは無い。

やはり作家と歌手が曲の居場所を一致させて知っていなければならない。

サウンドトレジャーにそれを求めるのは無理なことだ。

しかし鶴見尚樹、叶茉利子はラジオで曲の居場所を作っている。

曲の居場所が他にある事に気付いている。

だからこのままにしておけないと思って私、そして戸倉が動いた。

サウンドトレジャーの歌手も歌の居場所に気付いてそれをなんとかしようと頑張っている。

その彼らに歌の居場所をこちらでも作って、違う角度からサウンドトレジャーの歌手たちが脚光を浴びるように私は考えて動いている。

先日、古い友人でもあり、東京で歌い続けている彩というジャズ・シンガーの歌を聴いてきた。

彼女は15年前までは色んなアーティストのコーラスで多くのレコーディングにも参加していた。

しかし15年前、一線から引いて、東京のとあるラウンジで歌い始めた。

何か全てがシラケてしまって、一人になりたかったからだと言っていた。

そして歌い続けている店はジャズのライブハウスでもジャズーでも無い。

よくあるちょっとお洒落なラウンジだ。

行けばけっこう値が張る。

私はなぜ彼女の歌を聴きに行ったか?

彼女は木村菜緒の曲をピアノで弾き語っていた。

叶茉利子、リンチェンハオー、結城ひろし、鶴見尚樹の曲を自分のアレンジで歌っていた。

そして店からもジャズのスタンダードよりこちらの方が良いと言われて歌い続けている。

その時のステージはこんなもの。

作った木村菜緒のひねくれた性格についてのトークを交えて「褪せた色した明日」、高校生の頃に乗っていた東武東上線のトークを入れながら「COLRED」、そして行ったことがない金沢の話題を入れながら「レイニーナイトイン金沢」、面白かったのは飲みに来ているお客に向けて歌った「ぼったくり」。お客に問いかけるように歌っていた。

それだけでは無い。

Revという木村菜緒が曲を提供しているシンガーソングライターの飛び入りライブも聴いてきた。
「BASUE」という曲を声を振り絞って歌うのは圧巻。
泣けてくるような歌。
しかしその後、こちらも全く予想していなかった歌が聴けた。

結城ひろしの「ずぼら」をギターで弾き語った!

これが良かった!

鳥肌が立つ間の取り方がたまらなく良かった。

このように木村菜緒の歌はしっかり居場所を得ている。

そしてここからが大切なことだ。

Revがこの曲の原曲は結城ひろしという北陸の歌手だと必ず敬意を払って言う。
彩も同じだ。
リンチェンハオー、叶茉利子、結城ひろしという名前をお客に伝える。

こうやってサウンドトレジャーの歌手の名前が上がることによって存在を知られる。

これが私や戸倉が望んでいることだ。

歌の居場所。

色んなアーティストに歌ってもらって居場所が出来れは必ずサウンドトレジャーの歌手が脚光を浴びる。

サウンドトレジャーを躍動的に動かす事は考えていないが、サウンドトレジャーの歌手達が少しでも脚光を浴びればと願う。

浅田

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